明治初期の近代日本建築の父と讃えられ、日本の洋風建築の中核を成したイギリス生まれのジョサイア・コンドルとは一体どんな人物であったのだろうか?
コンドルは、明治10年1月末、明治政府の招聘によって来日した。24才の時である。工部大学校造家学科(東京大学工学部建築学科)初代教授として日本の地を踏み、東京大学校内には、コンドルの偉業を讃えた銅像が学生達を見守っている。
コンドルの教え子達、工部大学校第1期生には、日本銀行や東京駅を設計した辰野金吾、迎賓館赤坂離宮や新宿御苑内旧洋館御休所を設計した片山東熊、慶應大学図書館を設計した曽禰達蔵と錚々たる顔ぶれである。
またコンドルは、日本画家川鍋暁斎に師事し暁英という雅号を受けており、日本文化に大変造詣が深かったのである。
またコンドルは日本人女性、前波くめと結婚し1920年にその生涯を終えるまで、日本で生活を続けた。くめとの出会いは、コンドルが日本舞踊を習う際、出稽古の師匠としてくめがやって来た為である。コンドルは建築家のみならず、日本文化を海外に広めるため、書籍も何冊か執筆しており、「The Flowers of Japan and the Art of Floral Arrangement」、「The Theory of Japanese Flower Arrangements」、「Landscape gardening in Japan 」(図解庭造法 本多錦吉郎著 英訳)、「Kawanabe Kyosai」などがある。
コンドルには娘ヘレンがいたが、ヘレンの母親はくめではなく花柳界の女性であった為、幼少期は里子に出されており、くめと結婚後コンドルと一緒に暮らし始めたようである。ヘレンは女学館卒業後イギリスへ渡り、4年間の留学生活の後、日本に帰国する船の中で出会ったデンマークの名家の子息ウィリアム・レナート・グルットと結婚し、日本を離れることとなる。
それでは、ジョサイア・コンドルの建造物を見てみよう。
鹿鳴館(1940年取り壊し)
ニコライ堂
旧岩崎邸
旧古河邸
旧島津公爵邸
三菱一号館
岩崎家玉川廟
綱町三井倶楽部
岩崎彌之助高輪別邸
諸戸清六邸(六華苑)
清澄庭園西洋館(関東大震災で消失)
上野博物館第一号館(関東大震災で消失)
東京では、現在でもコンドルの洋館を見ることができます。全てではないけれど、先人達の努力で後世に残してくれたことに感謝し、私達も日本の宝として未来に残していかなくてはいけないなぁ。と改めて思いました。















