










新宿にある広大な庭園。新宿御苑の歴史は、天正18年(1590)に譜代大名であった内藤氏が徳川家康よりこの地を拝領したときに始まる。
《アクセス》
新宿門
JR・京王・小田急線 新宿駅南口より 徒歩10分
西武新宿線 西武新宿駅より 徒歩15分
東京メトロ丸ノ内線 新宿御苑前駅出口1より 徒歩5分
東京メトロ副都心線 新宿三丁目駅E5出口より 徒歩5分
都営新宿線 新宿三丁目駅C1・C5出口より 徒歩5分
大木戸門
東京メトロ丸ノ内線 新宿御苑前駅出口2より 徒歩5分
千駄ヶ谷門
JR総武線 千駄ヶ谷駅より 徒歩5分
東京メトロ副都心線 北参道駅出口1より 徒歩10分
都営大江戸線 国立競技場駅A5出口より 徒歩5分
《住所》
東京都新宿区内藤町11
《電話》
03-3341-1461
《入園料あり・休園日あり》
https://fng.or.jp/shinjuku/

新宿御苑の歴史が始まるのは、徳川家康が江戸に入った翌年の天正19年(1591)にさかのぼる。譜代の家臣内藤家2代目の清成は、多年の功労と江戸城西門警固の功績を認められ、現在の新宿に屋敷地を拝領した。東は四谷、西は代々木、南は千駄ヶ谷、北は大久保にまでおよぶ広大な土地を賜ったと伝えられている。
石高3万石余りの大名としてはもとより、江戸の中でも非常に大規模な賜邸であったことから、その所在の地名が「内藤町」と命名された。
その後、7代内藤清枚(きよかず)の時に、領地を信濃に移され、3万3千石の高遠城主となったため、上屋敷を神田小川町に賜り、御苑の地は下屋敷となり、いつのころからか「四谷荘」とよばれるようになったのである。
高遠藩主内藤家の下屋敷は、のどかな田園風景そのままの庭園で、華麗な建造物などはなかったが、地域の住民とともに楽しむ憩いの庭として親しまれていたようだ。なかでも玉川園(現在の玉藻池)は、江戸の名園のひとつに数えられていた。
元禄11年(1698)に、幕府は内藤氏の広大な下屋敷の一部を返還させて、町屋とともに馬継ぎの施設を設けて宿駅とした。これが甲州街道最初の宿駅で、内藤家の屋敷跡に新設された宿駅のため「内藤新宿」と呼ばれるようになる。
明治に入り、江戸時代以来の内藤家の邸宅地と周辺地計17万8千坪(59ヘクタール)を購入した大蔵省は、明治5年(1872)に牧畜園芸の改良を目的として「内藤新宿試験場」を設けたのである。
明治10年(1877)、試験場内に獣医学、農学、農芸化学、農芸予科の4科を置いた本格的な農事修学場(のちに農学校に改名)が開校。ヨーロッパから講師を招き、指導者の育成が行われ、翌年には駒場に校舎を移し、駒場農学校が設立された。これは後の東京大学農学部と、東京農工大学農学部の前身となる。
明治12年(1879)に、新宿試験場の業務が三田育種場に移ると、新宿の土地は皇室に献納され、宮内省の所管となり、名称を「植物御苑」と改められた。
明治31年(1898)、福羽逸人卿が新宿植物御苑の総指揮者となる。明治33年(1900)、パリの万国博覧会へ園芸出品審査員として出張した卿は、菊の大作り3鉢を展示し高い評価を得た。この時卿はヴェルサイユ園芸学校の造園教授アンリ・マルチネー(Henri Martine、 1867~1936)に、新宿植物御苑を庭園に改造する計画を依頼し、翌明治34年(1901)に植物御苑改造計画を宮内大臣に提出し、5ヵ年の改装計画事業が始まる。
マルチネーの庭園完成予想鳥瞰図では、正門を入って正面にルネサンス様式の2階建ての宮殿、その前庭には大噴水が描かれており、宮殿の後ろ側の主庭は、のびのびとした風景式の様式で、特に奥行きを深めるように見せるためのビスタライン(見通し線)が効果的に設計されていた。苑路は美しい曲線を描き、池は広くゆったりとした輪郭が特徴的。
この鳥瞰図は、昭和20年(1945)の空襲で焼失してしまったが、現存する出版資料と比べても、細部は修正されたものの、ほぼ現在と同じ様式を保っている。
明治39年(1906)に、わが国唯一の大庭園「新宿御苑」が完成し、明治天皇ご臨席のもと、日露戦争の祝賀会をかねて華々しく開苑式が行われた。この庭園は、国をあげての一大事業であり、前例のない規模の大きさで、庭園様式の特異性においても、日本の造園史上最大の庭園事業であった。
開苑後には、皇室の園遊の場として日本庭園内に茶室が創建され、昭和のはじめには、昭和天皇のご成婚を祝して台湾より「旧御凉亭」が贈られた。大正年間には広い芝生が9ホールのゴルフ場として利用され始め、明治29年(1896)に創設された「旧洋館御休所」は、クラブハウスとして利用された。







昭和20年(1945)の3度の空襲により、旧御凉亭と旧洋館御休所を残し、苑内はほぼ全焼してしまった。事務所とともに、書籍やマルチネーの原図を含む図面などもみな焼失してしまう。戦時中は、庭園は食糧増産のために、芝生は開墾され農耕地となり農兵隊がジャガイモやサツマイモ、麦などを栽培した。
戦後昭和21年、東京都知事から、都の農業科学講習所用地として、新宿御苑を借用したいという依頼があり、一時東京都の所管となり、都立農業科学講習所高等部が発足。
日本国憲法発布後、昭和22年12月の閣議決定によって旧皇室庭園である新宿御苑は、皇居外苑、京都御苑とともに、「国民の慰楽、保健、教養等、国民福祉のために確保し、平和的文化国家の象徴」として運営していくことが決定されたのである。
新宿駅から、徒歩10分で行ける広大な庭園です。
繁華街の喧騒から、たった10分で緑豊かな庭園です。NTTの高層ビルがエンパイアステイトに似ているので、なんちゃってセントラルパークっぽい景観の場所があります。
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