





港区にある徳川将軍家菩提寺。三解脱門は国定重要文化財である。広大な敷地の中には、徳川将軍家墓所や勝運や厄除けの仏様として江戸時代以来広く人々の尊崇を集めている、秘仏黒本尊が祀られてた安国殿などがある。
《アクセス》
JR線・東京モノレール 浜松町駅から徒歩10分
都営地下鉄三田線 御成門駅から徒歩3分、芝公園から徒歩3分
都営地下鉄浅草線・大江戸線 大門駅から徒歩5分
都営地下鉄浅草線 大門駅から徒歩5分
都営地下鉄大江戸線 赤羽橋駅から徒歩7分
東京メトロ日比谷線 神谷町駅から徒歩10分
《住所》
東京都港区芝公園4-7-35
《電話》
03-3432-1431
https://www.zojoji.or.jp/




正式名称を三緑山広度院増上寺と称し、関東での正統念仏道場として、明徳4年(1393)酉誉聖聰上人により、江戸貝塚(千代田区紀尾井町)に創建された。慶長3年(1598)現在地に移転し、江戸期には徳川将軍家の菩提寺として、また浄土宗の宗務を統べる総録所、関東十八檀林の筆頭として隆盛を極めた。
最盛期の増上寺は、広大な寺有地に120以上の堂宇、100軒を越える学寮があり、3000名の僧侶が修学に励む大寺院であった。
苦難の明治期を経て、戦災では伽藍の多くを消失したが、昭和49年(1974)の大殿再建以後、徐々に復興を果たす。平成23年(2011)に法然上人800年御忌を迎え、さらに諸堂宇が整備され、宗教、文化活動の拠点として親しまれている。
国指定の重要文化財である三解脱門は元和8年(1622)に建立された。増上寺が江戸の初期に大造営された当時の面影を残す唯一の建造物である。
三解脱門とは3つの煩悩「むさぼり、いかり、おろかさ」を解脱する門のことである。建築様式は三戸二重門、入母屋造、朱漆塗。唐様の勾欄などが加味され、和唐折衷の美しさを見せる。上層部(楼上)には中央には釈迦三尊像、脇壇には十六羅漢像が安置されている。
大殿は、浄土宗大本山の念仏根本道場として、あらゆる儀式法要が行えるよう斬新な設計で、昭和49年(1974)、戦災に遭って消失した本堂が再建された。
正面の石段を登りつめた2階に本堂、3階に修行道場、1階に檀信徒控室、地下一階には増上寺宝物展示室がある。
御本尊の阿弥陀如来(室町期作)、両脇壇に高祖善導大師と元祖法然上人の御像が祀られている。
地下1階の宝物展示室には、英国ロイヤル・コレクションから貸与を受けた徳川二代将軍秀忠公の御霊屋の10分の1スケールの模型である「台徳院霊廟模型」がある。
その他は、狩野一信筆「五百羅漢図」をはじめとした増上寺所蔵文化財が展示されている。
平成23年(2011)法然上人800年御忌を記念し、念仏信仰の拠点として、徳川家康公が成し遂げた天下泰平の世(安らかな国づくり)を願い、老朽化した旧堂宇に代わり新しい安国殿が建立された。
堂内には恵心僧都の作と伝えられる秘仏黒本尊が祀られている。
黒本尊は家康公が深く尊崇し、そのご加護により度重なる災難を除け、戦の勝利を得たという霊験あらたな阿弥陀如来像で、勝運や厄除けの仏様として江戸時代以来、広く人々の尊崇を集めている。
御霊屋は別途拝観料が必要であるが、拝観することができる。二代将軍秀忠公をはじめとして6人の将軍、同御台所崇源院、皇女和宮様ら5人の正室、三代家光公側室桂昌院(五代綱吉公実母)をはじめ5人の側室、及び家光公第三子甲府宰相綱重ほか歴代将軍の子女が多数埋葬されている。御霊を祀る為に造営された墓所、本殿、拝殿を中心とした施設の数々はその当時の最高の技術が駆使され、厳粛かつ壮麗な霊廟はいずれも戦前国宝に指定されていたが、昭和20年3月10日北廟被災、5月25日南廟被災と、二度にわたる空襲直撃でほとんどが焼失し、わずかに残った建物もその指定を解除されてしまった。
焼失した御霊屋群はしばらくのあいだ荒廃にまかされていたが、昭和33年から文化財保護委員会の許可を得て詳細なる学術調査が行われ、のち桐ヶ谷斎場にて荼毘に付され、南北に配していた墓所は一ヶ所にまとめられ現在地に埋葬された。
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