







正式名称は神田神社。江戸時代以前から神田明神で知られる「江戸総鎮守」。東京都心部、神田、日本橋、秋葉原、大手町、丸の内その他108の総氏神となっている。京都の祇園祭、大阪の天神祭とならんで日本の三大祭に数えられる神田祭も神田明神の祭礼である。
≪アクセス≫
JR
中央線・総武線 御茶ノ水駅(聖橋口)より徒歩5分
京浜東北線・山手線 秋葉原駅(電気街口)より徒歩7分
地下鉄
東京メトロ丸ノ内線 御茶ノ水駅(1番口)より徒歩5分
東京メトロ千代田線 新御茶ノ水駅(B1出入口)より徒歩5分
東京メトロ銀座線 末広町駅 より徒歩5分
東京メトロ日比谷線 秋葉原駅 より徒歩7分
≪住所≫
東京都千代田区外神田2-16-2
≪電話≫
03-3254-0753
https://www.kandamyoujin.or.jp/


社伝によると、天平2年(730)に出雲氏族で大己貴命の子孫・真神田臣(まかんだおみ)により武蔵国豊島郡芝崎村―現在の東京都千代田区大手町・将門塚周辺)に創建された。
その後、天慶の乱で活躍された平将門公を葬った墳墓(将門塚)周辺で天変地異が頻発し、それが将門公の御神威として人々を恐れさせたため、時宗の遊行僧・真教上人が手厚く御霊をお慰めして、延慶2年(1309)に奉祀。戦国時代になると、太田道灌や北条氏綱といった名立たる武将によって手厚く崇敬された。
慶長5年(1600)、天下分け目の関ヶ原の戦いが起こると、徳川家康公が合戦に臨む際、戦勝のご祈祷を行なったところ、9月15日、神田祭の日に見事に勝利し天下統一を果たす。これ以降、徳川将軍家より縁起の良い祭礼として絶やすことなく執り行うよう命ぜられた。
江戸幕府が開かれると、幕府の尊崇する神社となり、元和2年(1616)に江戸城の表鬼門守護の場所にあたる現在の地に遷座し、幕府により社殿が造営された。以後、江戸時代を通じて「江戸総鎮守」として、幕府をはじめ江戸庶民にいたるまで篤い崇敬を受ける。
明治時代に入り、社名を神田明神から神田神社に改称し、東京の守護神として「准勅祭社」「東京府社」に定められた。
明治7年(1874)には、はじめて東京に皇居をお定めになられた明治天皇が親しく御参拝になり御幣物を献じられた。
大正12年(1923)、未曾有の関東大震災により江戸時代後期を代表する社殿が焼失してしたが、氏子崇敬者をはじめ東京の人々により、はやくも復興が計画され、昭和9年に当時としては画期的な鉄骨鉄筋コンクリート、総朱漆塗の社殿が再建された。
昭和10年代後半より、日本は第二次世界大戦へと突入し東京は大空襲により一面焼け野原となった。境内も多くの建造物がほとんど烏有に帰したが、耐火構造の社殿のみわずかな損傷のみで戦災を耐えぬいた。
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