東京都千代田区 学士会館

東京大学、日本野球発祥の地。
東京大学総理であった加藤弘之先生が退任された際、先生に対する謝恩会が開かれたのを機に「学士会」が始まる。のちに、旧帝国大学(現在の国立七大学)出身者の親睦と知識交流を目的とした場に発展した。それが学士会館である。
宿泊、レストラン、会議室、結婚式場などを完備する学士会館は、学士会会員のための倶楽部施設だが、現在では一部施設を除いて一般利用が可能となり、会員以外の人も利用できる。
≪アクセス≫
都営三田線/都営新宿線/東京メトロ半蔵門線
 「神保町」駅下車A9出口から徒歩1分
東京メトロ東西線「竹橋」駅下車3a出口から徒歩5分
JR中央線/総武線「御茶ノ水」駅下車御茶ノ水橋口から徒歩15分
≪住所≫
東京都千代田区神田錦町3-28
≪電話≫
03-3292-5936 (代表)
https://www.gakushikaikan.co.jp/

学士会は、1913(大正2)年1月に初めて会館と呼べる西洋風の木造2階建ての施設を創建したが、同年2月、神田三崎町で起きた大火により焼失。復興に向けて準備を進め、1923(大正12)年9月1日、基礎工事を開始する予定だったのだがが、奇しくもその日、関東大震災に襲われて計画は延期。その上、それまで利用していた仮会館も焼失した。焼失と再建を繰り返し、ついに1928(昭和3)年、現在の学士会館が建設された。
 長い歴史のなかで、様々な出来事もあり、1936(昭和11)年の2・26事件の際には、第14師団東京警備隊司令部が置かれ、1941(昭和16)年に太平洋戦争が勃発すると、翌年以降、会館屋上に高射機関銃陣地が設けられた。1945(昭和20)年には、会館の一部が空襲の被害を受ける一方、館内のいくつかの部屋を日本軍に提供することになった。そして終戦後の同年9月、連合国軍総司令部(GHQ)に接収されて閉館。高級将校の宿舎や将校倶楽部として使用されていたが、1956(昭和31)年7月に返還された。
 学士会館は、関東大震災後に建築された震災復興建築で、外壁が昭和初期に流行したスクラッチタイルで覆われた4階建ての旧館は1926(大正15)年6月に着工、1928(昭和3)年5月20日に開業した。総工費は約106万円。関東大震災の教訓をいかした、当時では極めて珍しい耐震・耐火の鉄骨鉄筋コンクリート造りとなっている。
 建築推進の中心となったのは、日本の耐震工学を確立した佐野利器氏。設計者は彼の門下生でもあり、 日本橋高島屋や帝国ホテル新館などを手掛けた高橋貞太郎氏である。旧館を尊重するかのように一歩後退して建つ5階建ての新館は、1937(昭和12)年9月20日に増築開業した。総工費は約60万円。設計者は藤村朗氏である。
学士会館の地盤の基礎には約1300本の松杭が打ち込まれているが、近年行われた松杭の調査では腐朽は全く見られなかった。その際、切り出された松杭の一部は、現在会館1階の談話室に展示されている。
 斬新、かつモダンで重厚な雰囲気は、85年以上を経た今も大事に継承されており、2003(平成15)年1月、国の有形文化財に登録された。

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