







外交官の家は、平成9(1997)年に、横浜市が内田定槌氏の孫にあたる宮入氏より寄贈を受け、山手イタリア山庭園に移築 復原され一般公開されるようになった。
《アクセス》
JR京浜東北線 石川町駅 徒歩5分
みなとみらい線 元町・中華街駅 徒歩16分
《住所》
横浜市中区山手町16
《電話》
045-662-8819
http://www.hama-midorinokyokai.or.jp/yamate-seiyoukan/


建て主である内田定槌は、明治〜大正時代に外交官として活躍した人物。明治22年外務省に入省し、ニューヨーク総領事やブラジル、アルゼンチン、スウェーデン、ノルウェーなど各国を渡り歩いた。大正12年トルコ全権大使を最後に退任し昭和17年にこの自宅で亡くなった。
この邸宅は、元々は渋谷区南平台に建っており、関東大震災や東京大空襲を奇跡的に潜り抜けたのである。
戦後はGHQの接収を受けるなど困難な日々を送ってきたが、世代が交代する中で建造物の維持管理が難しくなり、かつて定槌氏が外交官時代に横浜市長の候補にあがったという縁で、横浜市がこの建造物を維持管理するに至った。
平成6年、横浜市に建造物が寄贈されると詳細な解体調査が始まり、約2年の月日をかけ移築復原工事を行い、かつて明治時代イタリア領事館があった山手イタリア山庭園内に外交官の家として生まれ変わったのである。
この内田邸を設計した人物は、アメリカ人建築家のジェームス・マクドナルド・ガーディナーである。ガーディナーは立教大学で教える傍、明治36年には設計事務所を開設して建築家としての活動を広げていく。
建物は木造2階建、外壁は下見板張り。解体調査の結果を踏まえて、屋根は天然スレート張りで復原されている。八角系の塔屋がアクセントとなっており、屋根窓や1階サンルーム、2階ベランダなど様々な要素が加えられ、賑やかな外観となっている。
こうした変化に富む外観はアメリカンビクトリアンと呼ばれ、19世紀後半アメリカで流行したもので、凹凸の多い左右非対称な外観を特徴としている。ガーディナーの作品はアメリカンビクトリアンなものが多いのが特徴である。
1階にある食堂は、明治末という時代を反映しアールヌーボーの意匠に包まれ、アーツ・アンド・クラフツ(19世紀イギリスで展開された美術工芸の改革運動)のアメリカにおける影響も見受けられる。
玄関にあるステンドグラスには、内田家家紋がデザインされている。賓客を通す客間は大小2つ。客間の外側にはガラス張りのサンルーム。このサンルームは外側から見ただけではわからないが、腰壁が低い無双窓になっていて、日本の気候に合うように工夫されている。
2階は内田家のプライベート空間となっており、夫妻主寝室、寝室の奥には八角形の小部屋が続いている。
また、かつての客用寝室は現在展示室となっており外交官の暮らし等について資料を展示している。
また、付属棟には、喫茶室が設けられている。