東京都江東区 清澄庭園

三菱財閥岩崎家が所有した庭園。久世大和守(くぜやまとのかみ)ほかの下屋敷跡をいくつか合わせた広さがある。
《アクセス》
都営大江戸線・東京メトロ半蔵門線「清澄白河」(E14・Z11)駅下車 徒歩3分
《住所》
東京都江東区清澄3-3-9
《電話》
03-3641-5892
《休園日・入園料あり》
https://www.tokyo-park.or.jp/park/format/index033.html



清澄庭園は、江戸時代に大名の下屋敷だった一帯を三菱の創始者・岩崎彌太郎が取得し造園を計画、1891(明治24)年に社員の慰安や貴賓を招待するための「深川親睦園」として開園した。1923(大正12)年の関東大震災、1945(昭和20)年の東京大空襲では避難場所となるなど地域の歴史に深く関わった。岩崎久彌は東京市に庭園の東半分を公園用地として寄贈。市は大正記念館の移築(1929年5月竣工)や深川図書館の新館舎建設(同年6月竣工)など整備を進め、1932年(昭和7年)7月24日に清澄庭園として開園した。旧岩崎邸庭園六義園に続きまた名前が上がった岩崎家。彌太郎は無類の石好きで、清澄庭園には、三菱汽船会社の蒸気船を使って全国の名石・奇石を収集し、隅田川の水路より庭園に運び込んできた。
日本庭園に何故庭石が使用されるのか?植物に対し石は不変で作庭者の意図をよく伝える材料と考えられていたからのようだ。岩崎家の不変の心理を3代に渡って日本庭園で表現し、最期はあっさりと東京市に寄贈して、人々に永遠に岩崎家の偉業を語り継がれる為の庭園とした。
お金では買えない、名声まで手にいれたのかぁ。全てが計算されて進んだのか、時流に乗って進むうちに結果こうなって行ったのかは不明だけど、いずれにせよ、凡人には真似できない功績。


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